私たちが「日本」を意識する時に頭の中で広がるのは,北海道から沖縄までの地域とそこに住む人達である。しかし,過去の人々の意識が私たちと同じかというと,それは違う。だから,私たちが日本史を学ぶ時に,現代の意識で過去を見てしまうと間違った見方をしてしまう可能性がある。
学校の授業で行われる日本史は,過去には日本国に対する帰属意識を強めるための政治的な授業だった。そこにはさまざまな嘘を含めることで,自国に対する国家意識を強めることもあっただろう。
しかし,今の日本史は一国史を越えてグローバルな視点で考えていかなくてはいけない。私は国家史を越えた視点で日本史を考えるようにつとめているつもりだが,吉川弘文館の日本の時代史を読んでみてあらためてそれを意識させられた。
日本史という国家・国民の物語を通して,人々をひとつの帰属意識に束ねるという強力な政治機能を
もってしまうという側面も否めない。
(菊池勇夫『日本の時代史19蝦夷島と北方世界』(吉川弘文館・2003年))
日本史に興味がある人なら,「日本」という言葉が成立したのがいつで・・という話は当然知っているだろう。私は北海道に住んでいるので,この地が教科書の「日本史」ではほとんど扱われず,教科書の流れの中で付け足しとしてしか出てこないことを意識して,日本史教科書と向き合っている。しかし,九州や南西諸島については住んでいる場所から遠いためにあまり詳しいことがわからない。琉球が別の文化と歴史を歩んでいたことは意識していても,「隼人」や「南島人」という文化,歴史があるというのは意識していなかった。その辺についても,もっと勉強していかねばならない。
このように日本史を捉えるといっても,「日本」というのは七世紀末に成立した「国号」であり,それ以前には「日本国」あるいは「日本人」の歴史は存在しなかった。日本という国号をもった国家が統治・支配した地域もまた,現在の領土とは同じではなく,時代によって大きく変化してきた。日本列島の北には「蝦夷」,南には「隼人」「南島人」あるいは「琉球国」の歴史が存在し,ある時代までは日本の外側に位置してきた。
(菊池勇夫『日本の時代史19蝦夷島と北方世界』(吉川弘文館・2003年))
コメント