豊臣秀吉はどうして朝鮮出兵をしたのか
日本では文禄・慶長の役,朝鮮半島では壬申・丁酉の倭乱と呼ぶ秀吉の朝鮮出兵は,その目的は朝鮮半島を侵略することで終わりではない。秀吉のねらいは明の征服で,そのためには朝鮮半島を服属させる必要があった。当時の人でさえ無謀と感じた明・朝鮮の征服を,どうして秀吉は計画したのか。その理由を説明するのは難しい。今回は講談社と集英社の日本の歴史を参考にいくつかの説について紹介してみる。
国内問題を解決するために出兵にふみきった
朝鮮出兵の背景には,国内問題を解決するためにはそうせざるを得なかったとする考えがある。全国統一がすすむにつれて,豊臣政権内では政治の方針をめぐる対立が生じていた。権力を集め中央集権をめざす石田三成らのエリート官僚グループと,自分の領国の支配強化をめざす徳川家康らの大名グループの対立である。全国統一が完了してしまえば,次の問題は政治問題であり,その問題を避けるためには戦争を続けなければならなかったのである。また,これまで戦争にかり出されてきた雑兵たちのエネルギーも,平和になってしまえば必要ないどころか危険な存在と考えられるため,そのエネルギーを朝鮮出兵で放出させる意図があったとも考えられる。
国内問題だけで説明ができるのか
しかし,本当に国内問題の解消のためだけに,出兵をすすめたのだろうか。豊臣秀吉が明の征服構想を発表したのは,1585年である。この段階から国内の矛盾を解決するために朝鮮出兵を考えるだろうか。国内問題だけを理由に,明・朝鮮の征服を考えるのは難しいのではないか。
秀吉の対外政策から考える
国内の問題だけで説明がつかないのなら,秀吉の対外政策という視点から明・朝鮮征服を考えてみたい。秀吉は琉球王国,イスパニア領フィリピンのルソン,高山国(現在の台湾)へ,武力による討伐をちらつかせながら入貢と服属を要求している。この時期,東アジア世界は明を中心とする冊封体制が崩壊していた。秀吉は明にかわって,日本を中心とした朝貢貿易体制をつくりだすことを目的としていたと考えられる。しかし,明に対して入貢・服属を要求できるわけもなく,これを征服することで朝貢貿易体制をつくりだそうとしたのではないか。
教科書では秀吉の朝鮮出兵について,日本を中心とした新たな朝貢貿易体制をつくることを目的としていたという考えをとっている。
「全国を統一した秀吉は,この情勢のなかで,日本を東アジアの中心とする新しい国際秩序をつくることをこころざし,ゴアのポルトガル政庁,マニラのスペイン政庁,高山国(台湾)などに服属と入貢を求めた。」
山川出版社『詳説日本史』2005年
「秀吉は,関白に就任した直後から明を征服して東アジアに君臨することを考えていた。」
実教出版社『高校日本史B新訂版』2008年
参考文献
熱田公『集英社版日本の歴史天下一統』(集英社)
池上裕子『日本の歴史15織豊政権と江戸幕府』(講談社,2002年)
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