最近,勉強ができる,できないことについて,ブログで多くの意見を目にする。
勉強が出来る=頭がいい?
「勉強ができる」という蔑称
色々と意見を読んでみると,「勉強」という言葉に対してのイメージが人それぞれなので,「勉強ができる」という言葉について,最初に定義づける必要がある気がした。最近の教育界では,「学力」に対する考えが変化しており,そういう理由もあって「勉強ができる」という言葉に対して受け取るイメージが人によって異なるのではないだろうか。
文部科学省のいう,これから必要な学力は「生きる力」と呼ばれているもので,自分が身に付けている知識を使い思考・判断する力が中心となってくる。
※「思考・判断が中心」としたのは,決して知識を覚えることも否定しているわけではなく,基礎的・基本的な知識を覚えることも必要とされており,覚えている知識を生かした思考力・判断力を重視しているのである。また,学習するためには,それに対する興味を持ち,学び続ける意欲があることも必要で,思考・判断したことを表現する力も重要である。「思考・判断」「知識・理解」「関心・意欲」「表現」の4つの観点が,新しい学力=「生きる力」では重視されている。思考・判断については平成10年に改訂された高校の学習指導要領から重視されており,一昨日発表された新しい学習指導要領の案では表現力を育てるための言語活動が各教科で指導されるように示されている。
それに対して,これまでの学力といえば,「暗記」に代表されるような,たくさんの知識を蓄えていることといえる。
おそらく,多くのブログで語られる「勉強ができる」というのは,暗記力の方で語られているように感じる。
そして,その「勉強ができる」を否定するブロガーの方々は,現在必要とされている学力=思考力・判断力や表現力を身に付けて成功した方々で,知識の量を誇るよりそれを生かす力の方が重要であることを知っているからこそ,昔の「暗記力」中心の勉強を無駄に感じているのではないだろうか。
404 Blog Not Foundを書いている方は,勉強ができるということを,教師や雇い主にとって扱いやすい人としている。
私なりに解釈してみると,404 Blog・・の小飼さんは,教師の言うことを覚えておけば定期考査で良い点が取れるという知識重視の古い学力感で「勉強ができる」という言葉を理解しているように思える。そして,「勉強ができる」ことを否定する小飼さんは,外から入ってくる情報に対して自分のフィルターで思考・判断し,主体的に行動している方なのだろう。さらに自分の考えを表現し影響を与えるアルファブロガーで,自分の専門分野ばかりかさまざまなことについての知的欲求もあるように思えるので,学ぶ意欲も豊富な方である。つまり,これからの新しい学力感で言えば,模範的な「勉強のできる人」なのである。
だから,このブログ界での「勉強ができる」意見の表明は,新しい学力感を身に付けた人々が,古い学力感だけでは今の社会を生きていくのは難しいという,現在の教育界が進むべきの流れを説明していることになるように思える。
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