最近の教科書では壬午事変ではなく,壬午軍乱と書くことが多くなっている。この出来事について,教科書の記述を比較してみる。
1882年,朝鮮では,日本軍人が訓練する新軍の建設や給与支払いの不正への不満から,守旧派の旧軍兵士が反乱をおこして,日本公使館をおそい,大院君が権力をにぎった(壬午軍乱)。
実教出版社『高校日本史B新訂版』2008年
1882(明治15)年に朝鮮では,日本への接近を進める国王高宗の外戚閔氏一族に反対する大院君が,軍隊の支持を得て反乱をおこし,これに呼応して民衆が日本公使館を包囲した(壬午軍乱,または壬午事変)。
山川出版社『詳説日本史』2005年
壬午軍乱は,閔氏政権が新式軍隊である別技軍を優待して旧式軍隊を差別待遇したことに対する不満から爆発した。(1882年)
旧式軍人は大院君に援助を求め,政府高官の家を襲撃して破壊する一方,日本人教官を殺し日本公使館を襲撃した。それだけでなく,民衆が加勢するなかで閔氏政権の高官をも殺害した。
世界の教科書シリーズ1『新版韓国の歴史第二版』ー国定韓国高等学校歴史教科書(明石書店,2000年)
実教出版の教科書の記述は,「給与支払いの不正への不満」の部分がわかりにくい。給与を支払っていた主体があいまいな感じがする。読み方によっては,「日本軍人が」というのが主語だと考えてしまうのではないか。最初にこの記述を読んだ時にはそう感じた。おそらくは私の「日本が悪い」という思いからくるものだろう。
このことについては,韓国の歴史教科書では,「閔氏政権が・・・旧式軍隊を差別待遇」とあり,給与を支払っているのが朝鮮の政府であることがわかる。どうやら朝鮮の政府は,新軍と旧軍で給与の金額を変えていたようだ。そして,それが壬午軍乱のきっかけになった。
しかし,山川出版の教科書をみると,新軍に不満を持っていた旧軍が反乱をおこしたのではなく,開化政策をとっていた閔氏政権に反対する大院君が画策した事件と読み取ることができる。最終的には旧軍と大院君の勢力が呼応したようだが,どちらが先に動いたのかということは正確に把握しておくべきだと思うのだが。
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