1873年,寺島宗則は参議兼外務卿となる。1876年からは,アメリカとの間で税権回復を目的とした条約改正交渉をおこない,税権回復をほぼ実現する合意が得られた。しかし,イギリスやドイツなどの反対によって条約改正は無効となってしまう。1878年のことだった。
山川出版社の教科書や用語集では,「てらしまむねのり」とルビがふってあるが,角川書店の日本史事典では「てらじまむねのり」とある。ウィキペディアでも「てらじま」だ。これだけインターネットが普及すると,「てらしま」が正しかったとしても,検索結果のトップに出てくるウィキペディアの記述が正しいことになってしまいかねない。それが心配である。
しかも,ウィキペディアでは条約改正交渉の失敗を1879年としている。
条約改正交渉で税権回復を目的とした背景も,「西南戦争後の政府の財政難」としているが,本当にそれだけで良いのか。
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