守護大名と戦国大名の違いは何だろうか。
ふとそれを説明する言葉が頭に浮かんだので,書き留めておく。
戦国大名は,幕府や朝廷などの権力に頼らず,みずからの力で領国の支配をしようとした。
それに対し,守護大名は将軍家の権威に守られていた。また,守護大名の家格は限定されており,いくら実力があっても家格が低ければ守護になることはできなかった。守護大名の間にもランクは存在しており,将軍の補佐役である管領になることができたのは,足利家の親戚筋の三管領(細川氏,畠山氏,斯波氏)のみだった。
戦国大名が生まれてくるのは,将軍家の権威によって支配することができなくなった時である。
それが東国では,永享の乱後,混乱を続けていた関東がさらに分裂抗争を続けることになった,1545年の享徳の乱以降である。西国では将軍や守護大名の家督争いがきっかけとなって,京都を戦場とした応仁・文明の乱以降である。この二つの争いによって,東国を支配した鎌倉公方,西国を支配した室町幕府の権威が落ち,実力によって支配をしなければいけない時代を迎えたのである。
ちなみに応仁・文明の乱という表記も,以前の教科書には無かったように思う。
それから,応仁・文明の乱の原因を考えるとき,将軍家の後継争いのみで説明するのは難しい気がする。それをメインにするよりは,畠山政長と義就の家督争いとそれを支援した細川勝元と山名宗全の対立を中心の軸とした方が説明しやすい気がする。
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