伊藤之雄『日本の歴史第22巻 政党政治と天皇』(講談社,2002年)
では,第二次護憲運動を積極的に評価している。
「従来から,この第二次護憲運動よりも,十一年前の第一次護憲運動を,政党側が藩閥官僚勢力に対抗し,積極的に民衆と結んで政治変革をめざしたと,高く評価する見方がある。しかし第一次護憲運動は,基本的には都市部の運動にすぎないが,第二次護憲運動は農村部すみずみにまで広がった点で,その変革エネルギーはもっと高く評価されるべきであろう。」
第二次護憲運動は,政党主導の運動で,民衆の組織の運動への参加は消極的なものだったという評価が多い。しかし,講談社『日本の歴史』では,1924年の総選挙において,兵庫県の南但十三区では,政友本党の候補をやぶり大差で憲政会の斎藤隆夫が当選したことを例にして上記のように第二次護憲運動を高く評価している。
この選挙区では地元の有力者の支持が選挙の行方を左右しており,1920年,原内閣の時の総選挙では地元有力者が政友会を支持したため,斎藤はこの選挙区からの立候補をあきらめたほどだった。1924年の総選挙でも地元は政友本党支持を決めていたので,斎藤の苦戦が予想されていたが当選を果たすことができた。この背景には第二次護憲運動でかかげられた,普選の実現が広く支持されたのは勿論だが,斎藤自身が回顧録で述べているように,地域の青年党の応援の力も大きい。そして,後に青年党の中から地方政治に進出したものがいたことを考えると,第二次護憲運動が政党主導で民衆の関与が小さかったとは考えにくく,さらに地方政治のあり方までを変化させたものだったと考えることができる。
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