元厚生労働省の職員がテロにあった事件について,当然の報いとするような意見があるそうだ。とんでもない。面白がってやっているのだろうか。本気でそんなことを考えているのであれば,とても恐ろしい。
1889年2月11日,大日本帝国憲法の発布式に参加すべく準備をしていた文部大臣森有礼は,西野文太郎に出刃包丁で刺され,翌日亡くなる。西野はその場で斬られて亡くなった。伊勢神宮に参拝した内閣のある人物が,ステッキで神殿の御簾を掲げる行為をしたというのを,森大臣の行動と疑わなかった西野の犯行に対し,世論は西野に同情的だったそうである。
講談社の日本の歴史で紹介されているベルツの3月19日の日記を引用する。
憲法で出版の自由を可及的に広く約束した後に,政府はすぐその翌月,五種を下らぬ帝都の新聞紙の一時発行停止を,やむを得ない処置と認めている。それは,これらの新聞紙が森文相の暗殺者そのものを賛美したからである。それどころか,詩を作って,西野の予定した第二の犠牲者芳川がまだ生存しているのを遺憾とするという意味が述べてあった!上野にある西野の墓では,霊場参りさながらの光景が現出している!特に学生,俳優,芸者が多い。良くない現象だ。要するに,この国はまだ議会制度の時期に達していないことを示している。国民自身が法律を制定すべきこの時に当たり,かれらは暗殺者を賛美するのだ。
鈴木淳「日本の歴史第20巻維新の構想と展開」(2002年,講談社)
現在の社会が,近世社会と変わらない状況ではないことを望みたい。
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