幕末には,民衆のなかに人間尊重,人間平等の考え*や,職業の自由,営業の自由など,さまざまな自由を求める意識がめばえていた。
(実教出版社『高校日本史B新訂版』2008年)
自由民権運動に関する解説の最初をこのような話から始めるのは,珍しいように感じる。普通であれば,西洋の思想を日本に紹介した中村正直や西周,福沢諭吉などからではないだろうか。「自由」や「民権」という考えが決して西洋から入ってきて初めて知ることになったのではなく,幕末にはこのような思想が存在していたからこそ,西洋の思想を受け入れられたという日本に対する積極的な評価である。
そして人間尊重の考えに関する註では以下のようなことが紹介されている。
1853年,南部(盛岡)藩でおこった一揆の指導者三浦命助は,「人間は三千年に一度咲くうどん花なり」と書いている。インドの想像上の植物優曇華の花のように,人間も貴重なものだというのである。
1853年の一揆とは,約2万5000人が参加した南部藩三閉伊一揆のことをさし,指導者の三浦命助は捕らえられたのち,1864年に獄死している。それまでの間に家族に宛てて,獄中から数冊の「獄中記」を送った。その中に「人間と田畑をくらぶれば,人間は三千年に一度さくうどん花なり,田畑は石川らの如し」と書き記した。
江戸時代に人間尊重の精神がここまで深まりを見せていたことにとても驚きを感じた。
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