山本権兵衛は,1852年薩摩に生まれ薩摩閥・海軍閥の実力者として,海軍の発展に貢献した人物である。
教科書では,総理大臣に2度就任し,最初の内閣の時にはシーメンス事件という海軍の汚職事件の責任をとって総辞職し,2度目は皇太子暗殺未遂事件の虎の門事件の責任をとって総辞職したことで,不運な人物という印象だけが残っているのではないだろうか。
日露戦争の時,第1次桂太郎内閣の海軍大臣として,連合艦隊の司令官の東郷平八郎を「運の良い男」と明治天皇に奏した有名なエピソードがあるが,こういうことは当然教科書には載っていない。
さらに山本権兵衛は,妻を愛した家庭人であったことを知る人も少ないだろう。
私も朝日新聞日曜版の付録「be on Sunday『愛の旅人』」(2005年10月29日)を読むまでは,そんなことは全く知らなかった。朝日新聞付録から,山本権兵衛のエピソードを以下に記しておく。
●フェミニスト
1880年,海軍兵学校に流れた噂で,権兵衛が夫人を艦内見学に誘い,見学が終わると,登喜子の履物を妻の前にそろえて置いた。それを見ていた他の将校は,女性を大切にしている権兵衛の姿勢を冷笑した。
フェミニストで心優しい性格は,ドイツ留学時代の恩師,アレクサンダー・フォン・モンツ伯爵の影響である。プロイセン貴族であるが,もともとフランス貴族のため女性を尊重する家風だった。● 登喜子へのプレゼント
結婚を控え,7か条の誓約書を贈っている。
一 礼儀を正ふし信義を重んじ質素を旨とすることを目的とすべき事
一 夫婦むつまじく生涯たがいに不和を生ぜざる事
妻のために,権兵衛は漢字にふりがなをつけた。「生涯」の2文字には「いつまでも」 と,ルビをふっている。● 家族思い
権兵衛は皇室の行事でない限り,宴会を断り,家族と夕食をとった。●優しい父親,祖父
子や孫をめったにしからず,女学校に通う娘たちが毎朝,出がけにあいさつに出向くと,権兵衛は一人ひとりのハンカチに香水をふりかけて送り出した。
妻登喜子は家が貧しかったために女郎屋に身売りされていた。権兵衛は彼女に惚れ,弟の協力で女郎屋から登喜子を強奪し,翌年結婚する。この辺の権兵衛の行動もかっこいい。
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